震度5弱で帰宅困難者

それは14時45分に起こった。
「また地震!でも遠い?でも大きい??」という感じで、近くのテレビに走りスイッチを入れる。
女子の悲鳴が聞こえる。
震源地は宮城沖。
「また宮城沖です!」と発信するも、尋常ではない揺れが続く。
皆机の下に潜り込む。私は現実感が沸かず立ち尽くす。
「がおさん!危ないから座って!!」とAちゃんに言われる。
テレビの近くにある食器棚が倒れて、カップが砕ける音がする。
みしみしとビルが軋み、デスクの上のファイルが倒れ、積み上げられた文書保存箱がどんどん崩れていく。
揺れが止まると館内放送で「エレベーターは止まりました。階段で非難してください。」と放送が入る。
このまま逃げられるように、荷物を持って外に出るように促される。
文書保存箱が瓦礫の山と化している中をふんずけて歩き、ロッカーに向かう。
外に出て初めて恐怖心が沸く。
余震が続く。外に立っていても分かるくらい。
小一時間外で待機し、一度会社に戻る事になった。
電車は全て止まったという。
近隣の人とグループになって帰宅するように指示が出る。
会社に残ったほうが絶対に楽だと思ったが、ビルが耐震完備できていないという。
そんなバカな!!
重い小説は会社に置き去りにし、ロッカーやデスクの引き出しにしまっておいたお菓子や水を持てるだけ持つ。今日本当は友達とホテルに宿泊予定だったので、いつもよりかばんが大きい。
会社のトイレットペーパーも一個盗む。
マスクとティッシュも持てるだけ持ち、ひざ掛けもバッグに押し込み、雨が降るかもしれないと聞き、置き傘の長い傘を持つ。疲れたら杖になると考えて。
迷ったが、本部長の居る神奈川組に合流する。
大船・葉山・茅ヶ崎・小机の人と一緒だった。
とにかく東京を目指そうという事になった。これが長い旅の始まりだった。
東京駅はさすがに凄い人だった。修学旅行の学生も居る。
でも交通機関は全面ストップしており、立ち止まるなとアナウンスが流れる。
大丸も既に閉店していた17時過ぎ。
次は品川を目指す事に。
「私がへこたれそうになったらスニーカーを買いますから!」と宣言する。
有楽町にasiccsのショップがあった。迷ったがまだ全然大丈夫だったのでスルーした。
新橋まで来てトイレに行きたくなり、ヤマダ電機に寄らせてもらう。
ここはガラガラだった。使い捨てカイロ10個入りを買い、2個ずつ渡す。
寒さは怖いと思ったので。
6時頃、夕飯を食べようと言う話になった。
大門を過ぎ、泉岳寺の手前で一本裏道に入り、沖縄料理のお店に入った。
テレビもあり、携帯の充電もさせてくれた。
まだ現実味が無い。まるで避難訓練をしている途中で飽きてしまい、居酒屋に入ってしまった気分だった。
またトイレに行きたくなるのがイヤで、食べるのを控えていた私。
どんどん食べる男性陣。
でも、座敷に靴を脱いで上がり、食べ物を口にしたらとても元気が出てきた。
やはり食べるって大切なんだって実感する。
トイレなんていつでも行けるから大丈夫!と自分を励ます。
ライフラインは保たれたまま交通手段が無いだけの状態は、人に余裕を与えるらしい。
お店も平常心で営業しているところや、既に地震の影響で閉店の張り紙がしてある所もあり、対応はさまざまだった。
途中避難所になっているのだなと思われる場所が何箇所もあり、疲れたらここで休ませてもらえば良いと思える所が沢山ある事も確認できて安心に繋がった。
新幹線が動き出したとテレビで聞き、とりあえず新横浜を目指す事にする。
歩き出すと漲るパワー。沖縄料理効果です。
しかし品川は遠かった・・・1時間半以上かかりました。
9時半過ぎ、品川駅の新幹線切符売り場は長蛇の列。
5人のうち携帯で新幹線のチケットを購入する方法を思いついた人が、5人分サッと買ってくれて、まったく並ばずにホームへ向かう。
文明の利器は使いこなせなければ負けてしまう事を教訓にする。
すぐに来たひかりに乗り込み、新横浜まで座って少しだけ充電。
新横浜でタクシーに乗れるはずも無く、もの凄い人の列。
プリンスホテルのトイレに行くと、そこも避難所になっており、椅子がずらっと並び、大型テレビも設置されていて、毛布も貸してくれているようだった。
もうここで待機しても良いのにと思ったが、トイレから出てきたら再出発。
小机の次の駅に住んでいる人の家を目指して歩き出す。
二駅のはずなのに異常に遠い。
日産スタジアムも遠いが、それどころではない。
1時間半くらい歩いて居酒屋に入りたいと上司が言うのでまた休憩。
ネットをチェックしながら作戦会議。
京王線横浜市営地下鉄が動き出した事が分かり、小机の彼の車で私は橋本へ、他の3人は横浜市営地下鉄の最寄駅まで送ってもらう事になった。
彼の駐車場まで着くと空車のタクシーが一台走ってきた。
男性3人はそちらに乗り込み、私だけが彼に送ってもらう事になった。
途中混雑もあったが、ほぼスムーズに1時間程度で橋本に着く。
もうすぐ電車が来るというタイミングの良さ。既に2時過ぎている。
でも私の最寄駅の1個手前までしか行かないという。
妹に電話して、バイクで迎えに来てもらうことにした。
「明日早いんですけどー!」と文句を言われながらも無理やりに頼んだ。
しかし、駅にはタクシーがちゃんと居た・・・
電話したが既にバイクに乗っているのか繋がらない。
仕方なく妹が到着するのを待つ。
初のバイクの二人乗りは、どのアトラクションよりスリリングだった。
財布に入っていた¥12,000を手渡し、叩き起こした事を詫びる。
いらないとつき返されたが、こちらの気持ちが納まらないので。
帰宅したのは4時。地震発生から13時間も経っていた。
ニュースが見たくてテレビにかじりつき、緊急地震速報に怯えてお風呂にもなかなか入れず、結局眠ったのは朝6時。
昨日の朝から24時間経っていた。
沢山の教訓を胸に、とんでもない経験をした長い一日でした。