決断の日

父の病院の担当医と妹が話をして、最終決断をする事になった。
会社が終わって速攻で帰り、母と妹と三人で病院へ向かった。
外科部長ではない医師と、日中妹が話をして、もう転院させたくないし、これ以上の治療を希望しないと訴え、理解してもらったという話だった。
「まだまだ日本では受け入れ難い現状ですが、2年以上看てきた自分にも、ご家族の気持ちはとてもよくわかります。ご本人の気持ちを汲めるのはご家族だと思いますし、その上でのご決断なら、私たちはそれをお手伝いしないといけないと思います。」という内容だったそうです。
あの家畜同然の扱いを受ける病院に転院するくらいなら、舌を噛んだ方がマシだと思った私。
父も絶対にそう思うだろうと断言できます。
あの病院で、あの患者達と同じ境遇に置かれ、何も分からないまま点滴での栄養補給を続け、急変したときには家族の誰も看取れない状況を喜ぶはずが無い。私なら我慢できないと感じたので、きっと父も同じだと思うのです。
ところが、外科部長の意見は全然違う物でした。
一度はリハビリをして輪投げをしたり、発語の訓練もしていた時期がありました。
何度も何度も手術をして、今、現状安定しているのに、自分の手で悪くなるような事はできないと。
その気持ちも十分に理解できます。
でも、もうこれ以上良くなることは無いと断言できる状況で、あの家畜小屋で生きているとも思えないような待遇で生かされる事を選択することはできないと、延々平行線を辿るかと思われる話し合いをしました。
その外科部長も3月にお父様を亡くされたそうです。
それもあって、命を大切にして欲しいという思いがあったようでした。
ただ、私達の気持ちも良く分かる。父の辛い状況も理解している。でも外科部長としてのその判断は苦しいという状況だったようでした。
最終的には、私達の気持ちを汲んで下さり、明日からは治療を一切しないという方向で、このまま転院せずに最期まで看ていただける事になりました。
最期には外科部長も涙を溜めていました。
束縛されるのを誰よりも嫌い、格好悪い姿を晒すくらいなら死んだほうがマシだと考えるような父だったと話をしました。
現状、病院で寝たきりどころか、両手をベッドに拘束され、点滴だけで栄養補給しているために体重も40kg台になってしまい、オムツでの生活だなんて、本当に悔しいと思うんです。
もう十分に頑張ったと思います。
もう自由にしてあげて欲しいし、長年お世話になったこの病院から旅立たせてあげて欲しいと家族は切望しているという事を、やっと分かっていただきました。
本当は父がそう望んでいるかどうかは分かりません。
何もかも聞こえているし理解していて、ただ表現できないだけだとしたら、これほど辛い事はありません。
父にとっても私たちにとっても。
でも、50年近く側にいて、現状を良しと思っているとは到底思えず、きっとその強い思いを私たちに念で送ってきているのだろうと考えます。
病院には本当に感謝しています。
ご理解頂き、本当にありがとうございました。